速度は
加速時や減速時など変化している時しか体感できない。
新幹線に乗っていても飛行機でも、
速さを感じるのは最初と最後だけ。
その後は動いていても、止まっていても、よく分からない。
それと同じようなことを色々な場面で感じます。
スマホや薄型テレビが出て来た時。
とっても感動✨しました。
けど、びっくりする位
あっという間に順応し慣れてしまっています。
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腰痛も同じことでは無いか。
腰痛が消えても、その時だけが歓喜の時。
その後は腰が痛く無くなっても、それが既に当たり前になる。
そして、腰痛に代わって他の場所の痛みを感じる様になるだけでは。
その分、
肩を痛めたり、頚を痛めたり。
だから、
腰痛を消す事に意味が有るのか?と考える。
そして、
腰痛というシグナルのお陰で行動に抑制がかかるのが、
痛みが無いとは、いわばリミッターが無くなる様なもの。
腰痛が無くなった後、
ご本人の意識が高くないと、
痛く無いからと今まで以上に無理をすると、
腰痛以上の怪我や病気になる可能性もある。
一体、その人は幸せになるのだろうか?
そう考えると、
幸せに出来るのは結局のところご本人しかいない。
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治ったと感謝されるのは、非常に嬉しいが。
結局、自分も常に自分の仕事の意味を永遠と考える。
自分ごときが、痛みの全体像を語るような大袈裟な話しになってしまいましたが、いつも疑問を持ちながら施術している。
これは結局、『何のために生きているのか。』というテーマと似ている様に思う。
どちらも、その答えに近づきたい為に行っているのだろう。
このたまに、自分の中に湧いてくるポエムみたいなもの。
これを正月明けの、おかしなテンションでホームページに載せる。
2019年のテーマは、ありきたりですが、『感謝とチャレンジ』
こんな投稿も実験的チャレンジ。
今日は、子守と読書とミーティング。
妻から勧めて貰って、今読んでいる本、、相当に、最高に、佳い☆